地の章 ―土の声に耳をすませて―
銀河のリズム、地上の鼓動-わたしたちは響き合うために出会った-をキャッチしてくださったあなたへ
アイ・ユウ・ミカの3人が出会う前の物語・・・
共鳴小説『三つの種、響きのはじまり ― 銀河のリズムの前奏曲 ―』地の章 ①大地の声に気づくまで
第二章:裂け目の中で
父が倒れたという電話を受けたのは、火曜の午後。
「…父が入院しました。数日は実家に戻らなければなりません」
アイは直属の上司に伝え、仕事を整理し、必要な人に一斉に連絡を送った。
急な不在で迷惑をかけてしまうことが何より気がかりだった。
これまで、どんなに忙しくても、誰かの穴をカバーすることを優先してきた。
“自分がやった方が早い”と思っていたし、信頼されていたいという思いもあった。
けれど――返ってきた反応は、意外なものだった。
「なんとか回るよ、心配しないで」
「大丈夫大丈夫、むしろいない方が空気やわらかいし(笑)」
「アイさんのチェック厳しいから、ちょっとホッとしてるかも」
その軽さに、アイの心はズクンと痛んだ。
たとえそれが、アイに気を使わせないための冗談だったとしても
・・・うまく笑えなかった
(…わたし、そんな風に思われてたんだ)
どこかで、感謝されることを望んでいた。
必要とされることが、自分の存在意義だと思っていた。
でも、現実は違った。
アイがいなくても、会社は当たり前のようにまわる。
自分の存在が実体のない水蒸気のように思えた。吹く風に飛び散ってしまいそうだった。
(わたしがやってきたことって、ただの自己満足だったのかな)
(求められてたわけじゃなくて、勝手に頑張ってただけ?)
今まで“みんなのために”とがんばってきたアイにとって、
小さな裏切りのように感じられた。
都会の喧騒を抜け、アイは久しぶりに実家のある町へと向かった。電車の中で、アイはずっと窓の外を眺めていた。
流れる景色は、徐々にコンクリートから緑の広がる田園風景へと変わっていく。幼い頃に遊んだ土手、通学路だったあぜ道、風に揺れる麦の穂。
(…こんなに静かだったっけ)
駅に降り立つと、母が車で迎えに来ていた。
「アイ、おかえり。疲れてない?」
「うん、大丈夫。お父さん、どう?」
「まだ点滴中だけど、ちょっとずつ良くなってるわ」
病室で父の顔を見たとき、思ったより元気そうで少し安心した。
ただ、無理をし続けてきた体には、明らかに疲労の色が出ていた。医師の話では、過労による一時的な虚血状態。
「だいじょうぶだ。少し寝れば回復する」
いつもの強がりだった。
父もまた、弱音を吐かず、一人で抱え込む人だった。
父の畑には、近隣の農家にはない静けさがあった。
それは、父の真面目さの証でもあったし、孤独の跡でもあった。
母と二人、慣れない手つきで作業をしながら、アイは何度も手を止めた。
土を触る手は、最初はぎこちなかったけれど、不思議と気持ちは落ち着いた。
雑草が伸び放題の一角。そこに、父がどれほどの手をかけてきたかを、アイはようやく少しだけ想像できた。
「ほんと、待ってくれないのね…」
(自然は、文句を言わない)
(だけど、手を抜けば、それもちゃんと返ってくる)
(誠実に向き合うしかない)
次の日、アイは一人で畑に出た。父の長靴を借り、手には鍬。土を踏みしめた瞬間、身体の奥にあった何かがゆっくりと動き出すのを感じた。
(そうだ。わたし、この土の匂い、知ってる)
幼い頃、父のあとをついて畑に来て、泥だらけになりながら走り回っていた記憶がよみがえる。
この土地は、生きている。 そして、わたしの中にも、確かに「育てる」力が眠っている。
空を見上げると、広い空の下、風に揺れる葉の音、土の中の命の気配。自然のすべてが「大丈夫」と囁いてくれているようだった。
その日の夜、母と囲む食卓。話題は自然とこれからの畑のことになった。
「もっと、ラクな暮らしもあるのに、どうしてもこの土地が手放せないの?」母だってずっと苦労している。農家は大切な仕事だけど、両親に無理はしてほしくない。
「そうね、母さんには難しいことはわからないのだけど、お父さんの部屋に自然農法の本があったはずだから、読んでみるといいわ」
母に言われて、アイは父の書斎へと向かった。
古い書棚には、色あせた背表紙の本がぎっしり並んでいる。その中に、「自然農法の実践と精心」と書かれた本を見つけた。
ページをめくると、父の丁寧な書き込みがところどころにあった。
「手を加えすぎず、けれど放置もしない」
「人が自然の一部として関わる農」
「天候、虫、微生物、土壌、すべてが循環し合っている」
黙って読みながら、父の“黙々とした頑固さ”の裏に、深い理解と祈りにも似た思いがあったことを、はじめて知る気がした。
(…知らなかった。こんなに想っていたなんて)
ページの間に挟まっていたメモ用紙に、父の手書きの文字があった。
「農は、祈りであり、循環である」
どう在るか、どんな意識で関わるか――そこに本質がある。
その言葉に、アイの胸の奥がきゅっと締めつけられる。
(これは、こないだネットで気になったフレーズ)
アイはスマホを手に取り、気になったフレーズを検索してみる。
すると、あるブログ記事がヒットした。そこに書かれていたのは、耕作放棄地の増加や、自給率の低下だけでなく――
「土の声は置き去りにされている」
命を育む場が、利益や効率の論理にすり替えられている。
その記事の中には、耳慣れない言葉が並んでいた。
「地球の記憶が眠る土地」
「波動の調和と循環」
「自然(大宇宙の大いなる働きのすべて)」
(これは…何?)
記事の最後には、「祖の時代から皇の時代へ」という言葉が添えられていた。
「自然の中に生き方のヒントがある」
自然と調和し、意識とエネルギーを整えて生きる時代が、いま始まっている。
(意識とエネルギー…?)
これまで“やり方”ばかりを追いかけていた。効率や成果、責任、お金。
でも、本当に大切なものは、“どう在るか”だったのではないか。
スマホの画面を見つめたまま、アイは言葉をそっと胸に置いた。
静かに、けれど確かに、何かがはじまった気がしていた。