皇の時代にわたしを生きる実験(第9話)願う前に、もう動き出している

共鳴小説
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食事が一段落すると、尚子が席を立った。
「お茶淹れるね。お菓子もあるの」
「わたしも手伝う!」
つむぎの声が弾む。
健司も満足そうにお腹をさすっている。

しばらくして、尚子とつむぎがトレイを運んできた。湯気の立つお茶と、少し不揃いな形をしたクッキーだった。
「これ、私が焼いたんだけど……」
尚子は少し照れたように笑った。
「正直に言うとね、料理はけっこう得意な方だと思うの。でもお菓子作りだけは、なんでか毎回うまくいかなくて」

「え、そうなんですか?」
ミカが意外そうに顔を上げる。

「うん。分量通りにやってるつもりなんだけど、焼くとなぜか固くなっちゃったり、逆にベタッとしちゃったり」
尚子はクッキーをひとつつまんで、まじまじと眺めた。
「見た目も、ね。今日のもちょっと不格好でしょう」

「そんなことないですよ、おいしそう」
ミカがすかさず言うと、尚子はふふっと笑った。

その横で、健司が楽しそうに口を挟む。
「何回、レンガみたいなスコーンを食べさせられたことか。」
「ちょっと!」
尚子が思わず笑いながら抗議する。
「そんなに?」
ミカもつられて笑った。

ひとしきり笑ったあと、尚子がふっと表情を変えた。
「でもね。昔の私だったら、絶対にこんなの人に出せなかったと思う」
その言葉に、ミカはお茶を持つ手を止めた。

「隠すか、そもそも作らないか。人に得意じゃないことを見せるのが苦手だったから」
尚子は焼き菓子を一枚、皿に取り分けながら続けた。

「でも最近は、できないことはできないでいいかって、思えるようになったの。得意な人に聞けばいいし、任せればいい。前の私は、全部自分で完璧にやらなきゃって思ってたから」
窓の外で、風が葉を揺らしている。

その音を聞きながら、ミカはふと、一人の顔を思い浮かべた。
「あ……」
「どうしたの?」
「前の職場にいた人なんですけど。」
ミカは思わず笑顔になる
「お菓子作りがものすごく上手な男の子がいて」
「男の子?」
尚子が目を丸くする。
「はい。一度、ケーキをもらったことがあって」
「へぇ」
健司も興味深そうに身を乗り出した。
「今まで食べたチーズケーキの中で、一番おいしかったんですよ」

「まあ」
尚子の目が輝く。

「今もつながってるの?」
「はい」
そう答えた瞬間、ミカの中に蒼の顔が鮮明に浮かんだ。

「もしお願いできるなら……」
尚子が少し遠慮がちに言った。
「その蒼くんに、お菓子作りを教えてもらえたりできないかしら」

「もちろん、聞いてみます」

そのときは、それだけの約束だった。
けれど――。

 

その夜。
ミカのスマートフォンに、一通のメッセージが届いた。
送り主の名前を見て、ミカは思わず笑った。
――蒼。
「ミカさん、お久しぶりです。また少し仕事をお願いしたいことがあるんですが……」
ミカは画面を見つめる。

「ちょうどよかった」
ミカは小さく呟いた。

不思議だった。
ほんの少し前まで、蒼のことを思い出していた。
尚子がお菓子作りを教えてほしいと言ったから、蒼に聞いてみようと思った。
それなのに。
こちらから連絡をするより先に、蒼のほうから連絡が来た。
まるで、誰かが見えないところでタイミングを合わせてくれたみたいだった。

ミカの胸に、陽子の言葉が浮かんだ。
――皇の時代は、願う前に叶うのよ。
「……これか」
ミカはスマートフォンを見ながら、ひとりで笑った。

今までなら、必要なものがあれば、自分から探しに行った。
もちろん、それが悪いわけではない。

でも、皇の時代は違う。

自分が「こうしたい」と思ったときには、すでにどこかで物事が動き始めている。
必要な人も、必要な出来事も、自分と同じ流れの中にいて、ある瞬間に自然と重なってくる。
それは、力を抜いたからこそ見えてくる流れなのかもしれない。
ミカは、もう一度メッセージを読み返した。
そして、返信を打ち始める。
「わあ、ちょうどよかった!
お仕事の件、もちろん大丈夫だよ。
それとね、私からも蒼くんに相談したいことがあったの」

送信。

画面に「送信済み」の文字が現れる。
ミカはスマートフォンをテーブルに置いた。
そして、ふっと息を吐く。

今夜もまた、何かが静かに動き始めている。
願うよりも先に。
気づくよりも先に。

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