ずっと圧倒的に強かった祖の力が、対等な力関係になったタイミングが2024年3月18日でした。
そして、2024年2月24日に皇が祖を逆転し、光が増え始めました

それまで、祖の力に引っ張られないようにと思っていたのですが、2025年の春分の頃のブログでは、引っ張り合いを手放して、次のステージに進もうと考えていたことが綴られています。(祖と皇の綱引き「このままじゃ動けないからバランス取るのやめた」天縄文理論・皇の時代)
2026年の春分では、また自分の中でとても象徴的な体感がありました。
全体が祖に傾いたとき、私は皇へ軽く移れた

冬至から春分まで、平面の床で、人それぞれが○か×かを選ぶように、祖か皇かの二者択一を迫られ、それぞれの場所に分かれていったような時間でした。
私はできるだけ「これからは○(皇)だよ」と伝えて、皇の方に一緒に行こうと誘っていたけれども、実際には×(祖)を選ぶ人の方が圧倒的に多いのが、はっきりわかるようになっていました。
でもその時点では、床はただの平面なので、どちらを選んでも上下はなく、大きな違いは表面化していませんでした。
春分を迎える直前に「もう私は一人でも皇の側に行こう」と自分の意志で決めて、そちらへと移動したというイメージをはっきりと持ちました。
春分を境に足元が崩れ始めた

春分の頃には特に違和感などはなかったのですが、4月1日に茨城県南部を震源とする地震が起きたのを境に、その床に亀裂が入り始めたという不穏な空気感、そして、数日前に一瞬でシーソーのように動いた?!という感覚がありました。
ぐっと視点が上がるような、まるで一気にステージが切り替わったような、不思議な軽さと広がり。
シーソーは、片側が重くなるほど、反対側は軽く持ち上がります。祖に寄る人が多かったからこそ、人数としては少なかった皇側が上に持ち上がり、その結果として自然に視点が引き上がった。
平面だったものに、傾きが生まれ、それまで見えなかった差が一気に現れました。ここで確実に皇と祖の位置の違いが体感としてはっきり現れ始めたたように感じています。
世界の混乱の状況を見ていると日に日に祖が極まっていると感じていたのですが、そう考えると、この流れは個人のがんばりというよりも、全体のバランスの中で起きた、とても合理的な動きだったのだと思います。
全体は常にバランスを取ろうとするので、その結果、少数側に立つことになった私は、負荷がかかる代わりに視点が引き上がり、「ステージが上がった」と感じたのだと思います。これは善悪や正しさの話ではなく、単純なバランスの力学なんだということです。
自然環境の座標軸の移動が起こった?
そして、真ん中に立ち続けることは、傾いた瞬間にできなくなりました。
平面のときは、真ん中にい続けることもできました。どちらにも決めずに真ん中に立っていた人たちは、シーソーのように傾きが生まれた瞬間にその状態を保てなくなり、自然と傾きの下りの方へと移動していったのではないでしょうか。
それは、自分の意思で選んだというよりは、構造によって起きた移動であり、間違いや失敗でもなく、その時点での自然な着地だったのだと思います。
祖の側に移動した人たちにもきっと意味があります。
慣れ親しんだ価値観の中で整理すること。あるいは、まだそこに必要な経験があるということ。それぞれが、その時点での最適な位置にいるのでしょう。
全体のバランスは、個人の選択によって動いていく。そして、その動きの中で、次の位置へとそれぞれ自然に振り分けられた。今回の体感は、そのことをすごくシンプルに教えてくれた出来事でした。
人それぞれの立ち位置が決まった
そしてもうひとつ、大きな気づきがありました。
それは、この構造の中で無理に相手を引っ張り上げることは、もうできないし、する必要もないということです。
平面のときは、「同じ方向に行こう」と声をかけたり、引っ張ったりすることに意味があるように感じていました。
でも、シーソーが動いた後の世界では、それはむしろ不自然になる。ここで無理に干渉することは、その人の自由を奪うことにもなってしまう。
すでに山の上と下くらいの距離感を感じています。なので、手を差し出したとて、もう届かない。きっと声も聞こえない。
同じ世界にいながら、見えている景色はもう違っている。だからこそ、無理に交わろうとしなくてもいい。
それぞれが、自分の選んだ場所で、自分の現実を生きていく。
そんなフェーズに、もうはっきりと入っているのだと感じています。
そしてもし、
みなさんの中にも、同じような体感や何かしらの変化を感じている方がいたら・・・それはきっと、偶然ではなく、同じ流れの中にいるサインなのかもしれません。
これからは、同じような位置に立ち、同じ景色を見ている人たちと出会い、それぞれの感覚や気づきを持ち寄りながら、この流れを読み解いていく。
新しい場所で、そんな関わり方が自然にできるようになっていくのかもしれません。
