数日後、尚子は久しぶりに近所のカフェで友人たちと会った。月に一度の、子育て中の母親たちの集まりだった。
「尚子さん、つむぎちゃんの調子はどう?」
真由美が、心配そうな表情で声をかけてきた。
「学校の方は…まだ?」
「ええ、まだ行ってないの」
尚子は、いつものように重苦しい表情を作ろうとしたが、なぜかうまくいかなかった。心の奥底で、何かが変わっていた。
「やっぱり心配よね。うちの健太も中学で一時期不安定だったけど、カウンセラーの先生に相談して、薬も処方してもらって、なんとか持ち直したの」
聡子が、経験談を語り始めた。
「大事なのは、早めの対応よね。放っておくと、どんどん社会から遅れちゃうから」
「そうそう。うちも塾を変えて、個別指導にしたら少しずつ学校に行けるようになったわ」
美香も加わった。
「でも、高校受験のことを考えると、やっぱり出席日数が…」
三人の会話は、いつものパターンだった。問題を解決する方法を探し、専門家の意見を求め、他の成功例を参考にする。
尚子は、いつもならこの輪の中で、自分の悩みを打ち明け、アドバイスを求めていた。でも、今日は違った。
「つむぎは、最近とても穏やかなの」
尚子が口を開くと、三人の視線が集中した。
「穏やか?でも、学校に行ってないのよね?」
真由美が、困惑したような表情を見せた。
「ええ。でも、毎日自分のペースで過ごしていて、とても充実してるように見えるの。絵を描いたり、本を読んだり、散歩をしたり…」
「それって、現実逃避じゃない?」
聡子の声が、少し鋭くなった。
「今はよくても、将来のことを考えたら不安にならない?社会に出た時に困るのは、つむぎちゃん自身よ」
美香もうなずいた。
「そうよ。親として、ちゃんと導いてあげないと」
尚子は、胸の奥に小さな違和感を覚えた。三人の言葉は、以前の自分が考えていたことと全く同じだった。でも、今はそれが、とても遠い場所の話のように感じられた。
「でも…」
尚子は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「つむぎを見ていると、何か大切なことを学んでいるような気がするの。学校とは違う場所で」
「どこで?」
真由美が眉をひそめた。
「大切なことって、例えばどんなこと?」
「自分のリズムで生きること、かな。自分が本当にやりたいことを見つけること。それと…」
尚子は、つむぎの笑顔を思い浮かべた。
「自分を信じること」
三人の間に、微妙な沈黙が流れた。
「尚子さん、それって…ちょっと理想論すぎない?」
聡子が、心配そうに言った。
「現実は甘くないのよ。社会に出たら、自分のペースなんて言ってられないし、やりたいことだけやって生きていけるほど世の中は優しくないわ」
「そうよ。親の役割は、子どもを現実に適応させてあげることでしょう?」
美香の言葉に、真由美も深くうなずいた。
「つむぎちゃんのためを思うなら、やっぱり専門家に相談した方がいいと思う。このままだと、取り返しがつかなくなっちゃうかも」
尚子は、三人の真剣な表情を見回した。彼女たちは心から心配してくれている。善意で、親身になってアドバイスをしてくれている。
でも、なぜだろう。その言葉が、つむぎの世界とは全く違う場所から来ているように感じられた。
「ありがとう。みんなの気持ち、よくわかる」
尚子は、静かに微笑んだ。
「でも、もう少し、つむぎを信じて見守ってみたいの」
「信じるって…」
真由美が、言いかけて止まった。
「尚子さん、本当に大丈夫?なんだか、以前と雰囲気が変わったような…」
聡子が、心配そうに尚子を見つめた。
「変わった、かもしれないね」
尚子は、自分でも驚くほど穏やかな声で答えた。
「つむぎと一緒に、ひびきの輪でいろいろなことを学んでいるの」
三人は、顔を見合わせた。明らかに、尚子の変化に戸惑っているようだった。
「ひびきの輪って何?聞いたことないけど」
「変な宗教じゃないでしょうね?」
「つむぎちゃん、変な影響受けてない?子どもって純粋だから心配よね」
カフェを出る時、真由美が尚子の腕を軽く触った。
「何かあったら、いつでも連絡してね。一人で抱え込まないで」
「ありがとう」
尚子は、心から感謝の気持ちを込めて答えた。でも、同時に思った。
(わたしは、一人で抱え込んでいるわけではない。つむぎと一緒に、新しい道を歩いているのだ)
家に帰る道すがら、尚子は三人の友人たちのことを考えた。彼女たちは間違っているわけではない。今までの常識、今までの価値観の中では、彼女たちの言うことが正しいのだろう。
でも、もしかしたら、時代が変わっているのかもしれない。
つむぎのような子どもたちが、新しい時代のメッセンジャーなのかもしれない。
そして、親である自分も、新しい時代の子育てを学んでいるのかもしれない。
(わたしたちは、みんな違う方向を向いている)
それは、寂しいことでもあり、同時に、何か大きな変化の兆しでもあるような気がした。
家の前に着くと、つむぎが庭で小さな花を眺めていた。
「お帰りなさい、お母さん」
つむぎの笑顔を見た瞬間、尚子の心に静かな確信が生まれた。
(わたしは、正しい道を歩いている)
それは、他の誰かが決めた正しさではなく、自分の心が感じる正しさだった。
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