やわらかな風が吹き抜ける午後、アイは畑の畝にしゃがみ込み、若いカブの葉を撫でていた。
その時、軽トラックのエンジン音が静かな農場に近づいてくる。
「こんにちは」
降り立ったのは誠一と久美子だった。
「お久しぶりです」アイが笑顔で駆け寄る。
「ひびきの輪以来ですね。どうされたんですか?」
誠一は少し照れたように後ろの荷台を指さした。
「実は、お願いというか……。このあいだのひびきの輪がすごくよくてね。久美子も今度は一緒に参加したいって言うんですよ」
「え! うれしい!」アイは目を輝かせた。
久美子が続けた。
「難しい話はよくわからないけれど、この農場の野菜を食べるとね、体が元気になるの。味も香りも、なんだか生きてる感じがして。だから、私はずっとここの農場のファンなの」
その言葉に、そばで聞いていたカズオが深く頷いた。
「そう言ってもらえるのが一番うれしいな。ちゃんと違いを感じてくれる人がいるってわかると、報われるよ」
少し離れた場所にいた母の志穂が、笑顔で近づいてきた。
「まぁまぁ、久美子さん、お久しぶりね!せっかくだから畑も見ていって」
誠一は笑いながら頷いた。
「その前に……ちょっと荷台のもの、見てくれるかな?」
トラックの後ろには、手作りの木製ベンチと椅子が積まれていた。
どれも丁寧に磨かれ、木目がやさしく光っている。
「ひびきの輪をまた開くなら、きっと人が増えるだろうと思ってね。座る場所が足りないかもしれないから、使ってほしいんです」
アイは目を見張り、カズオも思わず声を上げた。
「こんなに立派なものを……! これ、本当に手づくりなんですか?」
「ええ、DIYはちょっとした趣味でね。あれから、みんなが座る場所を作りたくなったんですよ」
その言葉に、志穂がしみじみとつぶやく。
「素敵ねぇ。人の手で作られたものって、触れるだけであったかいのよ」
午後の陽射しが、ベンチの木肌をやさしく照らしていた。
誠一の中で、かつて競争のと比較のなかで数字と成果を追っていた日々とはまったく違う満足感が広がっていく。
アイがふと思い出したように言った。
「そういえば、紬ちゃんから手紙が届いていたの。お母さんと二人でひびきの輪に来てくれた中学生の子。今度は“お父さんも一緒に家族みんなで参加したい”って」
「まあ!」久美子の目が輝く。「輪が広がってるのね」
カズオが穏やかに微笑んだ。
「じゃあ、次のひびきの輪は収穫祭にしようか。これまで関わってくれた人たちをみんな呼んで、畑の恵みを分かち合うんだ」
アイも嬉しそうに頷いた。
「いいね!ひびきの輪からその後、みなさんの日常の中で何か響いているか・・・お話しが聞きたい。それで、みんなで喜び合う会にしたい。」
誠一は空を見上げた。
雲がゆっくりと流れ、秋の匂いを含んだ風が頬を撫でる。
「いいな……みんなで喜び合うか」
その言葉を噛みしめるように呟いた。
久美子が笑顔で隣に並ぶ。
「あなたが作った椅子が、その輪の一部になるのね」
「そうだな。今度は支える側として参加だ」
その言葉に、志穂がぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、私はおもてなしの料理を用意しようかしら。せっかくの収穫祭だもの」
久美子がうれしそうに頷く。
「いいわね! 私もパンを焼くわ。夫が庭に作ったあの新しい石窯を試してみたかったの」
「この畑の野菜を使って、シンプルだけど心が喜ぶ料理を並べたいわ。私は、野菜スープを。誠一さんの作ったベンチに座って、みんなで温かい料理を食べたら最高ね」志穂が言うとふたりは顔を見合わせ、まるで少女のように笑った。
アイがその様子を見て、思わず頬を緩める。
「なんだか、もう準備が始まってるね」
カズオが腕を組みながらにっこりと笑う。
風がまた一陣、畑を渡っていく。
木々のざわめきが、まるで祝福の拍手のように響いていた。その風は、これから始まる皇の時代という名の新しい物語のページを、静かにめくっていくようだった。

